津田先生がおっしゃるには 1
岩波文庫に入っている『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の七巻目に、
芭蕉さん、蕪村さん、一茶さんの俳句について
けっこうページが割かれており、
帰省の新幹線のなかでたのしく読みました。
たとえば、
蕪村のこの性質は彼の作句の法とおのづから一致する。
彼はすべてを観相として絵として写してゐる。
「すてやらで柳さしけり雨のひま」
といひ
「春の夕たえなんとする香をつぐ」
といひ
「此の冬や紙衣きようと思ひけり」
といふ類も、
さういふ事実・行為、もしくは情懐を客観的存在として見てゐるので、
彼自身の現実の行為や情懐を直叙したのではない。
「討ち果たすぼろ連れ立ちて夏野かな」
「西行の夜具も出てある紅葉かな」
の如く、
想像したり推測したりするやうな語句を毫も挟まず、
決定的に他人の心情を叙し、
「乾鮭や琴に斧うつ響あり」の如く比喩を比喩とせずして直写してゐるのも、
やはりこれと同じところから来てゐる。
観相として事物を写すことは、
前篇に述べた如く俳句に自然な傾向ではあるが、
蕪村はこの点に於いて最も徹底的であり、
さうしてそれが極めて巧みであつて、
「四五人に月落ちかゝる踊かな」(画賛)、
「水鳥や提灯遠き西の京」などに於いて、その一斑が覗はれる。
それには或は彼の、
画家であつたといふことが助けをなしてゐるかも知れぬ。
のみならず、
それはまた彼が人生に対しても自然に対しても常に保持してゐる傍観的態度
と関係がある。
この態度もまた俳諧が由来するところの一大条件であつて、
その滑稽味もまた半ばこゝに根ざしてゐるのであるが、
談林の徒は(根柢の思想に於いては世外に超然としてゐながら)、
世を愚にする点に於いて現実の自己を強く表出してゐるし、
蕉風に至つては自己そのものをも傍観的にながめる点に於いて、
いはゆる風狂の気分が生ずると共に、
外界を自己の情懐の反映として見る点に於いて一種の抒情味を具へて来、
それが一転すると、
也有・蓼太輩の如く世間的人情味を加へるやうにもなつたのである。
ところが蕪村はその何れでもなく、
自己の実生活とは交渉の無い夢と幻とを眼前に髣髴させて、
それを賞美してゐるのである。
彼の俳句はこの意味に於いて全く遊戯的であつて、
芭蕉の句が彼の人間の発現であるのとは大なる違ひがある。
さうしてこの点では彼の南画が遊戯的であるのと趣を同じうしてゐる。
彼の夢の世界が可なりに豊富な色彩を有つてゐて、
芭蕉の単調なのと違ふ所以はこゝにある。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.303-304)
芭蕉さんにひかれ、蕪村さんにひかれ、一茶さんにもひかれるわたしは、
なるほどと思いつつ、
たまに疑問を感じてツッコミを入れながら、
ゆかいな時間を過ごします。
見遣れば、窓外はすっかり雪景色。
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本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
・青空は深ぶか銀杏紅葉かな 野衾