眠りによる推敲
これまでも幾度か経験していることですが、
いろいろな種類の文章を書き、これでよし、と一旦は思うものの、
ひと晩ぐっすり眠り、
あらためて読み返してみると、
どうしてきのうは、これでよしとしたのかといぶかる箇所が、
かならず、
といっていいぐらい目につきます。
眠りによる推敲、
と勝手に呼んでいます。
「推敲」は、
唐の詩人である賈島(かとう)が
「僧は推す月下の門」の「推(お)す」を「敲(たた)く」にしようか
まよっていたとき、
韓愈(かんゆ)の助言を得て「敲」に決めたという故事
に基づくと辞書にでています。
結果がすでにでているわけですから
何をか言わんや、
ではありますけれど、
僧は推す月下の門
僧は敲く月下の門
ふたつをくらべてみると、おおきな違いは音にあるかと感じます。
月下の世界に、門をたたく音が清澄にひびきわたり
寥寥の瞑目したくなる詩の世界
がゆたかにひろがりゆくようです。
さくじつ、出社し、だいじな手紙を一通書きました。
ひと晩の眠りを経、
もう一度見直すことになります。
・電磁波止まずヘクトパスカルの冬 野衾