不舎昼夜

 

月に二度『秋田魁新報』「内館牧子の明日も花まるっ! 」に、
内館さんのエッセーが掲載されます。
内館節さくれつの観あり、いつもたのしく読んでいます。
いま、手元にありませず、
おぼつかない記憶にたより書くしかなく、
正確ではありませんけど、
せんだって、
たしかこんなことが書かれていて、興味ぶかく読みました。
内館さんが病院の待合室で待っていた
ときのこと、
中年女性ふたりの会話が聞こえてきた。
どうやら、
そのうちの一人が職場でひどいいじめに遭っているらしい。
耳を傾けていたもう一人が
「そんなところ、とっとと辞めればいいじゃないの」
みたいなことを言った。
愚痴っていた女性は、
「そうはいってもねぇ。おカネのこともあるし。
この歳になると、そうそう雇ってもらえるところも無いし…」
そんな会話が聞こえてき、
内館さん、
ご自身が会社勤めをしていたときの、
同様の理不尽ないじめに遭っていたエピソードを開陳されていました。
気分次第な無視といじめに遭い、
ほとほと困ったらしい。
が、あるとき、
ふと
「待てよ、このひとと一生付き合っていくわけではない」
そうか。そうだ。
そう思えばいいのか。
と、内館さん、閃いたのだとか。
ずっと付き合っていくわけではない、いずれ、この人とは別れる。
そう思ったら、
気が楽になり、流せるようになった。
数年して、
その人は会社を辞めていった。
内館さん、
病院の待合室で愚痴っていた人に、
そっと告げたかった。
「あなたをいじめているその人と、一生付き合っていくわけじゃないのよ。
いずれ別れるんだから。どうってことない」
と。
うろおぼえで恐縮ですが、
おおよそ、
以上のような内容だったと記憶しています。
事程左様に、
いじめも何も、この世のことは一過性。
すべては過ぎ去る。
喜びも悲しみも幾歳月、
であります。
やがて過ぎ去らなくなる時がくる。
それは「わたし」が死ぬとき。
不舎昼夜。
昼夜を舎かず(ちゅうやをおかず)昼も夜もとどまることがない。
『論語』にあることば。
吉川幸次郎さんは昼夜を舎てず(ちゅうやをすてず)
と読んでいます。

 

・冬に入る一歩一歩の重さかな  野衾