記憶は一冊の本

 

秋田にいる母が歩行困難になったことをきっかけに、
週に一度、手紙を書くようになってから十八ヶ月が過ぎましたので、
ひと月四週として、
七十通ぐらいになっているでしょう。
書きはじめて程なく、昔のことを書くと喜んでもらえることが分かったので、
以来、
ほんのちょっとの傷みたいなところから、
ものがたりを紡ぐようにして文章を書き、封緘するようになりました。
こんな書き方をしていると、
もっともっと書ける気がしてきて、
記憶はまるで一冊の本みたい、とも思います。
だれもかれも一冊の本を書いていて、
あるとき何かをきっかけに思いだそうとして思いだし始めると、
そのときから記憶の本を読むことになる。
そんな気がします。
かつて安原顯さんが始めた創作学校に通っていたとき、
「名の記憶」
という小説を書いたことがあります。
中条省平さんとはそこで知り合いました。
そのとき書いた小説は手もとにありませんが、
なんとなく憶えています。
記憶をなくした男の話。
腕に名前が彫られていて、それが何なのか、だれなのか、探っていくというストーリー
でした。
はじめてのプルーストは読み終っていました。
この流れで『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』
『自分のなかに歴史を読む』
をこれから読むことになると思います。
小学四年のとき『こゝろ』と『山椒大夫』を買ってきてくれた母は、
こんどは、記憶をくれた。
読んでせっせと手紙を書こうと思います。

 

・ひぐらしや商店街の小路に入る  野衾