子を思う母の情

 

『聖書』にでてくるソロモンさんといえば、
その治世を「ソロモンの栄華」と謳われ、また、知恵者としても名高いわけですが、
「旧約聖書」「列王記 第一」にあるエピソードを読むたびに、
日本の大岡政談との関連を説く人もいるぐらいですから、
むかしむかしその昔、
紀元前十世紀ごろの人とは思えず、
母の子の情愛をたたえ時代を超えてこころを打つものがあります。
わたくしごとになりますが、
生前お世話になった演出家の竹内敏晴さんが、
ある学校に芝居を持っていこうとして、
いろいろいろいろ読み返し、
最終的に、
長谷川伸さんの「瞼の母」と菊池寛さんの「父帰る」にしぼり、
教育哲学者の林竹二さんに相談したとき、
林さんが言下に「瞼の母」とおっしゃったというエピソード
も重ねて思い出されます。

 

その一人が言った。
「わが君、お願いがございます。実は、私とこの女とは同じ家に住んでいますが、
私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。
私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。
家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、私たち二人だけが家にいました。
ところが、
夜の間に、この女の産んだ子が死にました。
この女が自分の子の上に伏したからです。
この女は夜中に起きて、このはしためが眠っている間に、
私のそばから私の子を取って自分の懐に寝かせ、
死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。
朝、
私が子どもに乳を飲ませようとして起きると、
どうでしょう、その子は死んでいるではありませんか。
朝、その子をよく見てみると、
なんとまあ、その子は私が産んだ子ではありませんでした。」
すると、
もう一人の女が言った。
「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのがあなたの子です。」
先の女は言った。
「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」
女たちは王の前で言い合った。
そこで王は言った。
「一人は『生きているのが私の子で、死んだのがあなたの子だ』
と言い、
また、もう一人は
『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ』
と言う。」
王が「剣をここに持って来なさい」と言ったので、
剣が王の前に差し出された。
王は言った。
「生きている子を二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」
すると生きている子の母親は、
自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、
王に申し立てて言った。
「わが君、お願いです。どうか、その生きている子をあの女にお与えください。
決してその子を殺さないでください。」
しかしもう一人の女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください」
と言った。
そこで王は宣告を下して言った。
「生きている子を初めのほうの女に与えよ。決してその子を殺してはならない。
彼女がその子の母親である。」
全イスラエルは、
王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。
神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。
(『聖書 新改訳2017』「列王記 第一」第三章17-28、いのちのことば社、2017年、
pp.598-9)

 

・気がかり二つ三つ秋の日たゆたふ  野衾