「世界への信頼」のこと
拙著『文の風景』について鼎談を行った折、仏文の中条省平先生が、
ドゥルーズさんの『シネマ』を引き合いに出し、
お話しくださいました。
中条先生いわく、
映画に関するドゥルーズさんの論が縷々展開されていくなか、
下巻の後半(と仰ったかな?)
いきなり「世界への信頼」ということばが登場すると。
そのことばと、
ドゥルーズさんの本にそのことばがあること、
また、
中条先生がそのことばを、
拙著に関するコメントのなかで触れてくださったことが印象に残ったので、
その後、ドゥルーズさんの本を読み、
そのことばを見つけ、嬉しく思いましたが、
反面、
この世界のどこの、
なにを以って「世界への信頼」ということが言い得るのか、
つらつら考えていたところ、
ひとつのヒントがアンドレ・バザンさんの『映画とは何か』にありました。
『映画とは何か』を読むと、
バザンさんが、映画を信じ、世界を信じた人であったことが、
よく分かります。
ドゥルーズさんの「世界への信頼」は、
バザンさんの映画論を踏まえてのことばだったのだと思います。
訳者のお一人である野崎歓さんが書かれた「訳者解説」
から、
ふたりの関係について触れた箇所を引用します。
ロラン・バルトの写真論『明るい部屋』(1980年)や、
ジル・ドゥルーズの『シネマ』(1983、1985年)がことあるごとに引用される
のを見るにつけ、
それらの思想家たちの議論の前提となっている本書の翻訳が
長らく絶版のまま、
一般読者が入手しにくい状態が続いていることを残念に思い、
新訳を思い立ちながらも、
なかなか果たせないまま時間が流れてしまった。
『明るい部屋』はサルトルに捧げられており、
バザンの名は一度さりげなく引かれるのみだが、
「写真映像の存在論」を一読すればバルトがそこから汲んだものの大きさは明らか
である。
一方、ドゥルーズの『シネマ』はバザンを頻繁に引用し、
バザン的な映画史のパースペクティヴの延長線上に、
壮大な映画の分類学を建立している。
(アンドレ・バザン[著]野崎歓・大原宣久・谷本道昭[訳]
『映画とは何か(下)』岩波文庫、2015年、pp.282-3)
・一日を択び疲れて秋の暮 野衾

