写真の客観性と聖骸布

 

多木浩二さんの『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』が面白かったので、
それとの関連から、
つぎに手にしたのは、
アンドレ・バザンさんの『映画とは何か』。
バザンさんについては、
弊社から野崎歓さんによる
アンドレ・バザン 映画を信じた男』を出版しています。
さて『映画とは何か』(岩波文庫)ですが、
一般的に「○○について」書かれた本というのは、
記述の対象となっている○○を、
著者がどの程度好きかによって左右されるところ大
であると感じますけれど、
この本などは、
バザンさんがいかに映画好きであるかが文章からひしひしと伝わってきます。
またとくに、
冒頭の「写真映像の存在論」における、
写真と聖骸布との関連についての記述に触れ、
ルーツ好きのわたしとしては、
目から鱗が落ちる思いをいたしました。
聖骸布というのは、
トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている、
イエス・キリストの埋葬時に用いられた屍衣のことで、
キリストの顔と全身像が奇蹟により浮かび上がっているとされています。
下の引用は、
そのことを念頭に置きつつ書かれたものであることが、
原注に記されています。

 

こうした自動的生成は、
イメージの心理学を根本からくつがえした。
写真の客観性は、
いかなる絵画作品にも欠けていた強力な信憑性を写真映像に与えたのである。
内なる批判精神がどう反論しようが、
私たちは表象されたルプレザンテ対象物の存在を
信じないわけにはいかない。
それはまさにふたたび=提示されたプレザンテ
のであり、
つまりは時間、空間の中に存在プレザンする
ものとなったのである。
写真は事物からその写しへと、
実在性が譲り渡されることの恩恵に浴している。
この上なく忠実に描かれた絵であれば、
モデルについてより多くの情報を私たちに与えることができるだろう。
しかしながら絵は、
私たちの批評精神を撥ね返して私たちの信頼を勝ち取る写真の、
あの不合理な力をついぞ持ちえない。
(アンドレ・バザン[著]野崎歓・大原宣久・谷本道昭[訳]
『映画とは何か(上)』岩波文庫、2015年、pp.16-7)

 

・秋の日の彳む果ては天の原  野衾