抵抗の根としての森

 

「自由は土佐の山間より出づ」ということばは、私自身、少年時代に、
よく耳にしたものでした。
今から思えば、
これは、
明らかに土佐の民権運動の中から生まれたものだったのです。
自由党の創始者であった板垣退助の言葉に
「自由は独乙〔=ドイツ〕の深森より生まれる」

というのがあります。
自由の伝統をゲルマンの森に帰した根拠は、
おそらくモンテスキューの『法の精神』あたりから来ていたのではないでしょうか。
この中で、モンテスキューは、
タキトゥスを引きながら
「イギリス人がその国政の観念をえたのは、
彼らゲルマン人からであることが分かるであろう。
この立派な組織は森林中において見いだされたのである」
と述べています。
共同体の最重要問題は自由人全体の会議によって決定する
という古代ゲルマンの民会の慣習が思い浮かべられていたわけです。
この伝統は、
ゲルマン諸民族の中でも、
とくにザクセン民族に強く残り、
それは、
彼らのブリテン島上陸後も継承されました。
いわゆるノルマン・コンクェストにたいするアングロ・サクソンの抵抗精神は、
自由の大憲章として結実しました。
これこそゲルマンの森に由来するというわけでしょう。
モンテスキューがロックの政治理論に影響されて『法の精神』の有名な一章で論じたのは、
まさにこの自由の歴史的伝統だったのです。
『法の精神』は、
すでに明治初年には邦訳も出ていますが、
この本の英訳書は、
当時、
「朝野の間に愛読された」「もっとも有力なる欧州の書籍」
だったと言われています。
自由民権運動の人びとにとって、
ここから、ゲルマンの森への道は近かったのでしょう。
(宮田光雄『御言葉はわたしの道の光 ローズンゲン物語』新教出版社、1998年、pp.91-2)

 

本を読み、自分のスピードでゆっくり学んでいくと、
こういうつながりが仄見え、
たとえていうなら、
深い森の中に入り込んだ自分のところにまで
光が差し込んできたように感じ、
そうか、
そういうことだったのか、
と、
自分なりに発見できた喜びが湧いてきて、
なんだか楽しくなります。
宮田光雄さんは高知県出身、
板垣退助さんも、土佐藩出身ですから、
いまの高知県。
ヨーロッパの自由の精神がゲルマンの森を根拠とし、
それを論じる
「板垣死すとも自由は死せず」
で有名な板垣退助の
「自由は土佐の山間より出づ」のことばは、
なんだか、とても説得力があります。

 

・現状維持診察の日は春の風  野衾