女児とキューピッド像

 

数日前のこと、
仕事帰り、
JR保土ヶ谷駅から国道一号線沿いを保土ヶ谷橋に向かっていましたら、
リュックを背負った小っちゃい女の子が、
おかあさんとでしょう、
わたしの前を歩いていました。
ほんとうに小っちゃく、
とことこ歩く姿に、つい目が行きました。
と、
とことことことこ、
歩いて、
とこ。
歩道横のスナックの入口に置いてある白いキューピッド像の前で立ち止まり、
(小っちゃい女の子は、キューピッド像より、若干背が低かった)
「ハズカチイ」と言い、
じぶんの口を手で抑えました。
それがなんとも可愛く、
可笑しかった。
こんなに小っちゃくても、
「裸であることは恥ずかしいこと」であるとの知識をすでに持っているのかと思ったら、
ちょっと感慨深いものがありました。
愛の神様であるキューピッドは、
ギリシア神話ではエロス。
昨年五月に刊行した宇多直久編訳の
『ユゴー詩アンソロジー 夏の雨・冬の大天使』
の冒頭で、
ユゴーの世界を二つに分けて解釈したJ=B・バレールの
「人間の側にあるのはエロス、自然の側にあるのは牧神パン」
の言葉を、
宇多さんは紹介しています。
編集しながら、
ユゴーも、
ギリシアの神々から、
自身のファンタジーのエキスを十分に吸収していることを、
改めて知りました。
この仕事をしていて、
日々の何気ない風景から、ある連想が働くこと、
これも、
静かではあるけれど、
大きな喜びの一つであります。

下の写真は、
今月刊行したばかりの
『インターフェイス・スピリチュアルケア 永遠と対話の根源へ』
の書影。
著者は小西達也さん。
表紙カバーに配したニアさんの版画、
それと副題、帯の背文字、
それぞれが、
ファンタジーとつながり、ファンタジーを感じさせ、
生きる喜びに重なります。

 

・霾にスーホの馬の駆けるかな  野衾