新藤兼人の荷風評
日本では文学者というものは、考え方が一貫しているべきで、
それがぐらぐらしていると、
人間的にも作家的にも未熟だと言われて恥ずかしいと思ったりするものです。
しかし、
荷風は一切無頓着に思ったことをそのまま言っている。
ということは、
自分がしっかりしたものを、ちゃんと持っているという自信、
自分自身を貫いて行く信念があるか、
あるいは常にそういうふうに思いたがっているかでしょう。
この難波大助や、天皇、共産党に対する感想も、
気を引き締めて文章を書いている気がするのです。
こういうところは、荷風の『断腸亭日乗』の特徴です。
ある瞬間に思いついたことを、修正しないで、
感じたことを文章に正確に書きあらわそうとしている。
そういう努力があるのではないでしょうか。
これは非常に尊敬すべきことだとわたしは思います。
(新藤兼人[著]『『断腸亭日乗』を読む』岩波現代文庫、2009年、pp.154-5)
映画監督の新藤兼人さんは、『断腸亭日乗』がよほどお好きだったようです。
『断腸亭日乗』を読むと、
それがいかに観察と描写力に富んでいるか、
と、絶賛しています。
もう三十年ほど前(もっと?)になりますが、
以前勤めていた出版社の時代に、
永井荷風の著作権継承者(だったかと)の方にお目にかかったことがあります。
荷風が森鷗外を敬愛していたことは、
つとに知られていますが、
鷗外の全集がずらりと並んだ本棚の下に、
荷風の全集が並べられていました。
上でなく、下に。
「感じたことを文章に正確に書きあらわ」すことは、
簡単ではない気がします。
『断腸亭日乗』は四十二年間。
わたしのこのブログはその約半分。
書くことは、
たのしいばかりではありませんが、すこしの喜びがあります。
じぶんを発見する喜びがあります。
新藤さんの上の文章との関連でいえば、
「自分自身を貫いて行く信念があるか、
あるいは常にそういうふうに思いたがっている」じぶんの発見が、
日々に書くことを通じて荷風にあったのでは、
とも想像します。
・習ひての復習もまた雨水かな 野衾