矛盾的自己

 

先月初めに所用で秋田に帰省した折のこと、歩行が困難になった母がポツリ、
「コロッと死ねないもんがなぁ。コロッと死ねだらどんなにええが」
と。
こころが細く、また弱くなっているのでしょう。
「そんたらごど言うなよ」
とわたし。
足許は覚束なくなっているとはいうものの、
内臓を含め上半身はいたって元気なことは、わたしの目で見てもよく分かり、
一安心しました。
このごろは用事のあるなしに拘らず、
週に三度は秋田に電話しますが、
先だって父が、こんなことを話していました。
予定の日に病院に行き、血液検査やらレントゲン検査やらいろいろ調べていたら、
診察までにけっこう時間がかかり、
それでなくても怖がりで、
病院が嫌いな母は、
何か異常があってそのために遅れているのではないかと、
それはそれは心配していたのだとか。
が、
いよいよ診察になり、
どっこも異常がないと医者から宣言されるや、
母はそれはもう、
天にも昇るような晴れがましい表情になり、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と大喜びし、
家に帰ってきても、
またまた、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と喜びを反芻していたと。
父の話に、
わたしも思わず笑ってしまいました。
「コロッと死ねないもんがなぁ」を口にした母が、
また一方で医者から太鼓判を押され
「えがったでぁあ」
なるほどなぁ。そうだよなぁ。
矛盾といえば、これほどはっきりした矛盾はないかもしれない。
しかし、
二つの発言には、
汲めども尽きぬいろんな意味と味が潜んでいて、
母のことばとこころを反芻します。

 

・時を忘れて蒼天に木の葉ふる  野衾