ニーチェ50年

 

哲学者の小野寺功先生と、このごろたびたび電話で話するようになり、
わたしも話しますが、
先生の話を伺う時間のほうが多くあり、
それがなんとも味わい深く、
ついつい聴き入ってしまいます。
たとえば、
ハイデガーでもニーチェでも、先生独特の見方があり、
それがとても新鮮なのです。
電話が終った後、ひとりになって、
ふと、
ニーチェか…。
さて、
とことんとんとん。
廊下の横の引き戸を開けると、たしかこの辺に。
あった。ありました。
高校時代に買って、途中まで読んで挫折した『世界の大思想 4 ニーチェ』
(河出書房新社、1973年)
この本には
「こうツァラツストラは語った」「この人を見よ」
が入っています。
高橋健二・秋山英夫訳。
この三連休、
ほぼ五十年前に買い、
九度の引っ越しでも捨てずに持ち運んだ本をついに読みました。
こんどは読了するでしょう。
「こうツァラツストラは語った」には、
高校生のわたしが引いた鉛筆の跡が残っていて、
重要だと思っただろう単語を丸で囲んだり、文に傍線を付したりしています。
なんらかきっかけはあったのでしょうけれど、
ほとんど予備知識がないのに、
どうしてこの本を買って読もうとしたのか、
いまはもう思い出すことができません。
ただ、
鉛筆でしるしを付けた箇所から、
なにか、
これから生きていくための指針を必死に求めていた
ことだけは想像できます。
小野寺先生のおかげで、
じぶんの少年時代の、
ある精神が救われたような気がします。

 

・葛の葉の裏を見せずの光かな  野衾