意志と衝動

 

私たちが死の代わりにいのちを選ぶためには、しばしば衝動とは相反する意志の働き
を必要とします。
意志が許そうとするのとは反対に、衝動は復讐しようとします。
衝動は私たちに即答を迫ります。
誰かに顔を殴られたら、
衝動的に殴り返したくなるものです。
では、
意志が衝動に打ち勝つようにするにはどうすればよいのでしょうか。
鍵となる言葉は「待つ」です。
何が起ころうとも、
私たちに向けられた敵対的な行為と、
私たちの反応とに間を置かねばなりません。
自分自身をその事柄から引き離し、時間をかけて考え、友人と話し合い、
前向きに応えることが出来るようになるまで待たねばなりません。
衝動的な反応をするなら、
悪が私たちに勝つようになり、
そのことでいつも後悔するでしょう。
けれども
よく考え抜いてから答えることで私たちは
「善をもって悪に勝」つように助けられることでしょう(ローマ12・21)。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.301)

 

先だって、『アラン『定義集』講義』の著者・米山優先生と対談した折、
考えることがきわめて意志的な行為である
ということについても話題となり、
さらに、
「意志的である」は、
そこに、何らか選択の行為が含まれていることについて、
考えさせられるお話を伺うことができました。
アランがストア派の哲学者の心性を尊重している
というのも、納得。

 

・公園のひぐらし子を呼ぶ母の夕  野衾