写字生のこと

 

印刷術が歴史に登場する前の本といえば写本になるわけですが、
書物の文字を一字一字書き写す写字生とよばれた、
ほとんど無名の人々が多くいました。
ヨーロッパでは、
その任を奴隷が果たしていたこともあったようです。
写字生について書かれた本を読むと、
その苦労の一端がしみじみ、ひしひしと感じられ、
オレって、
ひょっとしたら写字生の生れ変りか?
などと、ふと思うことがあり、
「編集者写字生説」を唱えたくなるきょうこのごろであります。

 

文教の大中心地の一つで造られた写本は多分組織的に訂正されたであろうが、
われわれがその実物見本を有する唯一のものたる、
更に個人的な製品の場合には決してそうではなかった。
時には書き違えた語は直ぐその上に書き直され、書き落した語は余白に加えられている。
消したい語は常に一つ一つの字の上の点によって示されている。
恐らくそれだけで一番多い誤りの原因となったのは、
単なる筆の誤りは別として、
行の終り或は初めが同じだったり、
写字者の眼が偶然に迷ったりした(ここ笑える――三浦)ために、
一行(或は一行以上)抜かすことである。
このような脱落に気づいた場合に、
普通の訂正法は一寸碇に似た印(→)を脱落箇所に面してつけ、
抜けた一行または数行を巻物の天または地の余白に同じ印を附して挿入することである。
とはいえ、
現存のパピルス中にこの例が沢山にあるとは言えない。
立派に書かれた写本では、
正確度は、無瑕ではないけれども、高いが、
個人的に造られた写しや低級な売品に属するものでは誤りが多いことがあり得る
というのが一般的帰結である。
(F.G.ケニオン[著]高津春繁[訳]『古代の書物』岩波新書、1953年、p.78)

 

この本に書いてあることではありませんが、
写字生は、
書物を写し終えた後、最後の遊び紙に短く感想を書く場合もあったのだとか。
「たいくつ!」「つまらん!」等々。
費やした時間と、
物質的にか精神的にかは措いておくとして、
得られたものとを比較したとき、
「たいくつ!」「つまらん!」
と書きたくなった写字生の気持ちが痛いほど
伝わってきます。
たとえばそれがトマス・アクィナスの『神学大全』だったりしたならば、
ひとしきり笑った後、
おもしろうてやがて悲しき写本かな、
であります。

 

・信号を待つ間降りくる蟬の声  野衾