どうして、きょうの日に?

 

まいにち少しずつ読む本がいくつかあるなかに、
ヘンリ・ナウエンの『今日のパン、明日の糧』(原題:Bread for the Journey)
があります。
このブログで何度か紹介しました。
もともと、まいにちの黙想のために書かれた本で、一日に一ページあてられています。
この本をわたしは帰宅後、
洗面所で手を洗ったらすぐに読み始めます。
疲れていても、
一ページですからすぐに読むことができ、
ルーティーンになりました。
これまでも幾度か不思議な気がしたものですが、
きのうまた、
どうしてきょうの日に、
まるでナウエンからわたしに届いた手紙のように感じるのか、
驚きと感謝とともに、
静かに読みふけりました。

 

傷ついたり腹が立つ時、あるいは誰かに無視されたり拒絶される時、
私たちは自分の内奥に抗議の気持ちがあるのを経験します。
それは激しい怒りであったり、落ち込みであったり、復讐心であったり、
自分自身を傷つけたい衝動であったりさえします。
私たちは傷つけた人を傷つけてやりたい衝動にかられたり、
自分を否定して自殺さえも考える程の引きこもりに陥ったりします。
これらの極端な反応は例外的なものに見えるかもしれませんが、
私たちの思いからそう遠いものではないと思われます。
夜中眠れずに苦しい時間を過ごす時、
私たちはしばしば人が自分に言ったり、したことに対して、
言いたかった言葉やしたかったことについて思いめぐらし続けていることに
気づくことがあります。
私たちが霊の源泉に向かって深く掘り下げ、
私たちの内にある中心に戻ってゆかなければならないのは、
まさにこの時です。
その中心は、
人々や自分自身を傷つけたい欲求を超えたところにあり、
そこでは私たちは何にもとらわれることなく許し、
愛することが出来ます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.255)

 

・かうもりや宿場の空を三百年  野衾