日々の旅

 

イエスは、十二人を呼び寄せ、二人ずつ遣わすことにされた。
その際、汚れた霊を追い出す権能を授け、

次のように命じられた。
旅には杖一本のほか何も持たず、
パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
ただ履物は履くように、
そして「下着は二枚着てはならない」と。
また、こう言われた。
「どこでも、ある家に入ったら、その土地から出て行くまでは、
そこにとどまりなさい。
あなたがたを受け入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があれば、
そこを出て行くとき、
彼らへの抗議のしるしに足の塵を払い落としなさい。」
(『新約聖書』マルコによる福音書、第6章7-11節)

 

たとえばこういう箇所を、十代の終りに初めて読んだとき、
どんなふうに読んだだろうかと思い返します。
記憶力もいまよりずっと冴えていて、
これぐらいの分量なら、
暗記しようとすれば暗記できたかもしれません。
しかし、暗記して、それが何かの試験に出されて答案を埋められたとしても、
それが如何ほどのものか。
病気をし、ある程度の年齢を重ねたいま、
改めてこの箇所に触れると、
若い時とはまた別の味わいを感じます。
「杖一本のほか何も持たず」
とはなんと厳しい諭しでしょうか。
あれもこれも持たなくては、
とても困難に立ち向かえるものではないと思いがちです。
また、いっしょうけんめい伝えようとしても、
伝わらないことはしょっちゅうで。
「足の塵を払い落としなさい。」
は、
口答えするなということでもあるでしょう。
新井奥邃が聖書を「仕事師の手帳」と称した意味を、
日々の暮らしのなかで実感し味わうことも日用常行の勉強です。

 

・ふるさとは光を放つ蕗の薹  野衾