悲しみの目薬

 

パウロの言える如く、人生の苦しみには救いに到らしむる苦しみと、
滅亡に到らしむる苦しみとがある。
人生の目的が真理の探究に向けられて居る時、
すべての苦しみは
「健全なる悲しみの目薬」であって、
それが鋭く目にしみる事によって傲慢の腫脹《はれ》は引いて行く。
之は思想上の煩悶をもつ者に対して、
深き理解と同情の言葉である。
たましいの煩悶は、
神の光を見るに至るまでは決して心を落着かせない。
この内なる刺戟によって落着かせないことが、
既に神の恩恵である。
而して神の秘かなる御手によって悲しみの目薬を注《さ》される中に、
一日一日と真理の光が見えるようになる。
神の存在と、神の善にして不朽不変なることを信じてさえ居れば、
如何に長き且つ深刻なる思想的疑問であっても、
遂に光を見ずに終ることは絶対にない。
そのことをアウグスチヌスは彼の実験によって告白して居るのである。
(矢内原忠雄『土曜学校講義 第一巻』みすず書房、1970年、p.140)

 

ちなみにわたしは、夜、布団に横になった後、目薬を注します。
サンテボーティエという赤い目薬。
以前、赤い目薬がいいと聞いたことがありました。
注したあと目を閉じ、
右回りにゆっくり20回、
左回りにゆっくり20回、
目の運動をすることにしています。
眠るまえのルーティン。
一日ゲラを読んでいると、目も頭も疲れます。
内にひそむ「傲慢の腫脹」にも効いているとすれば、
こんな嬉しいことはありません。

 

・寒鯉の動かずにゐる重さかな  野衾