旧約聖書のリアリティ

 

創世記に登場するアダムとイブが今から遡ること約6000年前、
マタイによる福音書の冒頭、イエス・キリストの系図にあるアブラハムが
約4000年前、ダビデが約3000年前ということですから、
旧約聖書には、
新約聖書の時間とは比較にならないほどの膨大な時間における
人間のドラマが描かれています。
多くは、
預言者とそれにまつわる民の物語ですが、
たまに目をみはるような記述があって、
ほんとうに、
歴史上、この世にいた人なのだーと思わずにいられません。

 

ダビデ王は多くの日を重ねて年を取り、いくら服を着せても暖まらなかった。
そこで家臣は王に言った。
「王様のために若いおとめを探し出し、御前にはべらせ、お世話をさせましょう。
彼女が添い寝をすれば、王様は暖かくなられるでしょう。」
家臣は美しい娘を探し求めて、イスラエル領内をくまなく探し回り、
ついにシュネム人のアビシャグを見つけ、
王のもとに連れて来た。
娘はこの上なく美しかった。
彼女は王の世話をして仕えたが、王が彼女を知ることはなかった。
(聖書協会共同訳聖書「列王記 上」2018年、p.511)

 

若いときに、ここを読んだはずですが、ピンときませんでした。
が、
いまこの箇所を読むと、
ピンとくるどころか、
なるほどと深く納得するところ大であります。
ダビデは王様ですから、
家臣たちはダビデに最高級の服を着せたのでしょう。
なのに、
「いくら服を着せても暖まらなかった。」
王様といえども、
いのちに共通する老いを免れることはできません。
このごろホッカイロを愛用しているわたしは、
ホッカイロの温みを通して、
ダビデの体とこころが、
よく分かる気がします。
また引用した箇所の最後「王が彼女を知ることはなかった」
の「知る」とは何か。
大野晋と丸谷才一が『光る源氏の物語』で、
ここは実事があった、いや、なかった、いやいや、あったにちげーねー、と、
議論していて爆笑した「実事」
(事実でなく「実事」。大きい国語辞書だと、三番目ぐらいに出てくる意味がそれにあたるはず)
のことでありましょう。
ちなみに、
文語訳聖書ではこの箇所を
「王 之と交《まじは》らざりき」
と訳している。

 

・父母の上に雪あり眠りあり  野衾