炒めた赤いご飯

 

家人が朝、弁当を作っている匂いがこちらの部屋までただよってきて、
不意に子どものころの思い出が浮かびました。
秋田のわたしの実家では、
煮るか焼くかのどちらかがほとんどで、
フライパンで炒めるのは、
目玉焼きをつくるためのニワトリの卵ぐらい。
電子レンジのない時代。
そうか。
卵を溶いて小麦粉と砂糖を混ぜて炒めたバッタラ焼き、というのがあったな、
そうだそうだ、ありました。
バッタラ焼きのことは措いとくとして、
チャーハンやチキンライスのような、
ご飯を炒めた料理というものを食べたことがありませんでした。
初めて食べたのは、
石川理紀之助にゆかりの地、
現在の潟上市昭和豊川山田に嫁いだ叔母の家に遊びに行ったときだったと記憶しています。
ふり返れば、
鶏肉が入っていたし、
少し赤い色をしていたから、
チキンライスだったかも知れません。
赤は、
ケチャップの赤だったのでしょう。
衝撃的な美味しさでした。
叔母のところへ行けば、炒めた赤いご飯が食べられる、
そのようにインプットされたわたしは、
しばらく時間を置いてから、
また訪ねたような気がします。
弟を連れていたかもしれない。
いとこと遊んだあの家は、いまはもうないでしょう。
長男の父には、上に姉、下に二人の弟と、四人の妹がいますが、
チキンライスを作ってくれた、
すぐ下の妹が早くに亡くなりました。
叔母の鼻骨には傷がありました。
子どもの頃、
柿の木から落ちてきた柿が鼻を直撃し、
痕になったと聞いた。
朝の台所からただよってきた匂いに刺激され、
子どもの頃食したチキンライスの味と笑顔を絶やさなかった叔母の声が、
あざやかに蘇りました。

 

・大寒やチキンライスと叔母の声  野衾