成瀬仁蔵と柳敬助

 

日本女子大学の創設者として著名なキリスト者・成瀬仁蔵が
洋画家の柳敬助と親交があったことを初めて知りました。
成瀬が、
学生たちへの講義のために、
ある本の挿絵を大きく描いてほしい旨を柳に頼みに行った、
というエピソードが、
『宮沢賢治 妹トシの拓いた道――「銀河鉄道の夜」へむかって』
に記されていました。
この本は、
タイトルにあるとおり、
宮沢賢治が、
愛する妹を通して、
いかにキリスト教に接近していったかを説いた書ですが、
賢治と新井奥邃をつなぐ見えない糸についても、
ふかく考えさせられました。
柳は、
奥邃の謙和舎に足しげく通っており、
高村光太郎に奥邃を紹介した人物でもあります。
わたしは、
一九二三年に亡くなっている柳敬助を、直接知っているわけではありませんが、
柳のご子息・文治郎さんには何度かお目にかかったことがあり、
文治郎さんから、
ご自宅で新井奥邃の名がでるときに、
家のなかが独特の空気に包まれたということを、
興味深くうかがったことがあります。
文治郎さんはまた、
新井奥邃先生記念会の幹事を務められました。
奇しくも、
宮沢トシが亡くなったのが一九二二年、
新井奥邃が亡くなった年と同じ、
ちょうど百年前になります。

 

・土器拾ふ遥かここまで探梅行  野衾