心象スケッチ

 

これにつけ加えたいと思うのは、この心配の神秘的な側面についてなのだ。
人が自分ひとりとり残されているのではなくて、
宇宙の中の何ものかととり残されているということ。
私の深い憂愁、デプレッション、退屈、
または何であろうと、
それのただ中で私を恐れさせ、また興奮させるのはこれなのだ。
〈或る魚の〉ヒレが遠くを通っているのがみえる。
私の言おうとするところをどんな心像《イメージ》で伝えることができるだろうか。
じっさいには何のイメージもないのだろう。
おもしろいことに、
今まで私のあらゆる感情や考えの中で、
このことにぶつかったことはないのだ。
人生は冷静に、正確に言って、この上もなく奇妙なものだ。
その中に現実の本質がある。
私はこのことを子供のときいつも感じたものだ
――水たまりの上を歩いてわたることができなかったことがある。
なんてふしぎだろう――
私は何なのか、
などと考えてわたれなかったことを思い出す。
(神谷美恵子[訳]『ヴァージニア・ウルフ著作集 8 ある作家の日記』みすず書房、
1976年、pp.143-4)

 

正月、しんしんと降る雪を窓外に眺めながら『ダロウェイ夫人』を読んだ
のをきっかけに、
その小説がとくべつな印象を与えてくれましたので、
流れで、
買ってそのままになっていた神谷美恵子訳の
『ある作家の日記』を、
まだ途中ですが、読んだ。
引用した、こんな箇所を読むと、
神谷さんの日本語が読み易いせいもあって、
よけいに、
ヴァージニア・ウルフのひととなりに触れられる気がし、
また、
この人となら、
友達になりたいと思わせられる。
引用した文中の〈  〉は、訳者による注。《  》はルビ。

 

・去年今年乗せて車窓の雲流る  野衾