訂正してお詫びします

 

きのう、この欄で、
山川丙三郎訳『ダンテ神曲』について触れ、
地獄篇の冒頭
「われ正路《ただしきみち》を失ひ、人生《ひとのよ》の羇旅《きりょ》半《なかば》
にあたりてとある暗き林のなかにありき」
を引用し、
《ただしきみち》《ひとのよ》《きりょ》《なかば》
などのふりがながあったような…、
と記しましたが、
出社後、
前の出版社に勤務していたころ出版した、
複製の山川丙三郎訳、警醒社版『ダンテ神曲』を確認しましたら、
岩波文庫と同様、
引用した箇所にふりがなは、ありませんでした。
訂正してお詫びします。
さて、
事実はそうですが、
そうなると、
さらに疑問がもたげてきまして、
それは、
わたしがなぜ、
正路、人生、羇旅、半の熟語、漢字を
《ただしきみち》《ひとのよ》《きりょ》《なかば》
と読むのだと、
さも当然のごとくに思い込んできたのか、
ということ。
きのう、
会社で仕事をしていても、
そのことがアタマの片隅にあってスッキリしませんでした。
が、
けさ目を覚ましたら
(眠りはほんとうに有難い)、
ひょっとしたらと思いついたことがあります。
新井奥邃先生記念会のメンバーで、
石川重俊先生という方が居られます。
石川先生は、
東北学院時代に山川丙三郎から直接教えを受けられた方で、
その後、
東北学院大学をはじめ、
いくつかの大学で英文学を講じられ、
岩波書店からシェリーの日本語訳『鎖を解かれたプロメテウス』(岩波文庫)
を上梓されています。
新井奥邃先生記念会で何度もお目にかかり、
春風社にお越しいただいたこともあります。
石川先生が何かの折に、
たとえば、
新井奥邃先生記念会のときにでも、
警醒社版『ダンテ神曲』冒頭の箇所を読み上げてくださり、
それを記憶していたのかもしれないと、
いま、なんとなく想像します。
霧の彼方のごときぼんやりとした、記憶ともいえない記憶ではありますが、
《ただしきみち》《ひとのよ》《きりょ》《なかば》
の読みは、
どなたかから習い、覚えたもの
であることは間違いないと思います。
おそらく、
石川重俊先生からではなかったでしょうか。

 

・寒月や音なき影の声を聴く  野衾