詩を生きる

 

私ども肉体において生きている自分たちの状態はそれは不完全なものですが、
不完全なものでありながら神を信ずることができ、
神を知ることができ、
神を慕うことができ、
神を見ることができるようにせられたのは絶大なる神の恩寵である。
ダンテはそれを詩として書きましたが、
私どもはダンテのような詩を作ることはできなくても
自分たちの生涯の経験の中にこれを知っておるのです。
そういう意味でわれわれは詩を作る詩人ではないが、詩を生きる詩人であるのです。
われわれの各自がそうであるのです。
そうであればこそダンテの『神曲』を読んでもなるほどと思う。
部分的に解らないことがあっても全体としてダンテをわれわれが理解することができる。
それは、
自分もダンテと同じ詩を生活する恩寵の中につつまれているからです。
ここでダンテは詩人としてそのことを、
信仰をもって旅路をつづけることで表現したのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、
1969年、pp.363-4)

 

矢内原忠雄の土曜学校講義は、矢内原の自宅で、
20人からせいぜい30人ほどの聴講者を前にして行われていたようですが、
そのなかに、
のちに美学者・中世哲学研究者となった今道友信がいました。
わたしは、
今道さんの『ダンテ『神曲』講義』を
おもしろく読みましたので、
少年時代の今道さんがどんな顔で、こころで、姿勢で、
矢内原さんの講義を聴いたのか、
そのことへの興味もあり、
朝、少しずつ読んでいます。
詩を書く詩人と詩を生きる詩人、なるほどと思います。
わたしの住まいする近くに聖隷横浜病院
がありますが、
経営母体である社会福祉法人聖隷福祉事業団の創立者・長谷川保は、
キリスト者でありましたが、
生涯私的財産を持たない主義を貫き、
病院敷地内のバラック小屋に住み続け、90歳で亡くなりました。
たとえばこの人も、
詩を生きた詩人であったのでしょう。

 

・蕭統と家持千年《ちとせ》の秋を編む  野衾