母のクセ

 

手クセ足クセがあるように、こころのクセもありそうです。
目に見えるわたしのクセが、
わたしなりのものだと思っていたのに、
帰省した折になんとなく母の動きを見ていて、
ああ、おれに似ている、
と思ったことがありました。
小さいものが下に落ちていると、
拾わずにいられないクセだとか、行動の順番を厳格に守るだとか、
いろいろ。
このごろは、
目に見えないこころのクセまで、似ていると思うことがしばしばで。
かつて秋田の実家では、
正月、また、お盆ともなれば、
父の姉、妹、弟が、家族連れで泊まりに来たものでした。
わたしはそれが楽しみでしたが、
いま思えば、
父の妹たちが手伝い、祖母が元気だったとはいえ、
嫁である母の気苦労はいかほどであったかと想像されます。
あるとき、
母から直接でなく、
父から聞いたように記憶していますが、
正月、五月の祭、お盆の時期になると決まって、
母は、一週間、いや、二週間も前から、何の料理をどの順番に出そうかと、
寝不足になるぐらい、あれこれあれこれ思い悩み、
「なにをそんなに心配しているんだ。祖母もいるし、妹たちも手伝うんだから」
と父が諭しても、
母は相変わらず、心配していたといいます。
このごろわたしは、
土曜日、日曜日、それほど長い時間ではありませんが、
会社に出ることが多くなりました。
じぶんの仕事をこなすことがいちばん
ではありますが、
同時に、
来客をふくめ、
つぎの一週間の予定を静かにシミュレーションすることもだいじな仕事のうち。
ふと、
正月、五月の祭、お盆の前に、
眠りが浅くなった母の姿を思い浮かべます。
きのうは、
編集を担当している文芸評論のゲラ(本にするための組版を終えた校正刷り)
の精読を、
当初の目標どおり300ページまで終えました。

 

・ゲラ軽し一字一字に秋の暮  野衾