肉声が聴こえない

 

岩波文庫の『日本書紀』、
詳しすぎるぐらいの注と補注に助けられ、ようやく最終五巻目に入りました
が、
全体を通して感じるのは、
総じて、つまらない、
ということ。
仁徳天皇の灌漑工事の事績に関する記述など、
個人的に興味を持った箇所がないわけではないけれど、
かつてキンチョールのテレビコマーシャルで、
大滝秀治扮する老父が息子に向かい
「つまらん! お前の話はつまらん」と発して話題を呼びましたが、
それに準えていえば、
「つまらん! 日本書紀の記述はつまらん」
ということになります。
岩波文庫にはなかったと思いますが、
この文庫の校注の仕事にかかわった研究者が、ほかのところで、
日本書紀は、
読んで面白いというような書物ではない、
と言っているみたいですから、
やはり、
日本書紀は、読み物としてはつまらない、というのが通り相場のようです。
源氏物語の蛍の巻に、
光源氏の語る(すなわち紫式部の)物語論として有名な、
「日本紀などはただかたそばぞかし」
というセリフがでてきますが、
なるほどと合点がいきます。
ところで。
なんでそんなにつまらないのか。
ひとことで言って、
外国向けに編まれた正史であるがゆえに、
書き手の肉声が聴こえてこないことに原因がありそうです。
しかし、
正史がすべてつまらないかといえば、
そういうことでもない。
お手本にした中国の、
たとえば史記、漢書(これは、これから)には、
司馬遷、班固の声が記述の中に響いていて、
それが歴史書を読む楽しさを味わわせてくれます。
もうひとつ。
日本書紀を読んで感じるのは、
歴史の本でありながら、細かい日付、
ほかの史料に登場しない朝鮮人の名前がやたらに多く、
歴史書でありながら、
きわめて日記に近いということ。
日記なら日記で、
ドナルド・キーンさんが言うように、
記述者の肉声が聴こえてくれば、
かえっておもしろいものになったのかもしれませんが、
正史ということで、
いやいややらされた感がどうにも拭えない。
とは言い条、
正史である日本書紀が日記的であることが、
わたくし的には今回の読書の最大の発見かも知れません。

 

・いくつかの恋の名残の茘枝かな  野衾