日記生活六十年

 

秋田の父が日記をつけ始めてから七十年ほどたち、
狭い田んぼから最大量の米を収穫するのに日記がいかに役立つかについて、
すでにこの欄に書きましたが、
すぐ近くに住み、
父を助けて米づくりをしている父より九歳年下の叔父が、
父とは関係なく、
父とは別に、
六十年ほど日記をつけていることを、
つい最近知りました。
博文館の五年日記を使用しているのだとか。
ちなみに父の愛用は三年日記。
叔父に直接電話しいろいろ聴いたなかで、印象にのこったのは、
日記をつけないと、一日が終った気がしない、
ということ。
床に就いて、一日を振り返り、
農作業のことはもちろん、
たとえば、
パチンコでいくら勝ったか、負けたかなども、
ちゃんと記録しているらしい。
記録は明日への活力となり、
「いのちの根」であるイネを産む。
わたしのこのブログ「港町横濱よもやま日記」は二十年を過ぎた程度だから、
まだまだひよっこ。
ドナルド・キーンさんの慧眼をきっかけに閃いた、
日記と日本の農業、文化との関連について、
しばらく、
いろいろ読んで、
さらに考えたいと思います。

 

・ノースリーブ火傷の痕に蚊の来る  野衾