バスに乗って

 

心配性の子どもでありました。
思い出すのはバス。
仲台というバス停からバスに乗るのですが、
あの頃はまだ財布を持っていなかったはずですから、
小銭をそのままポケットに入れていた
と思います。
テレビでたまに「はじめてのおつかい」という番組をやっていますが、
あんな感じ。
もう少し大きくなっていたかな。
自家用車が家になく、
バスに乗るのだってたまにのことですから、
うきうき楽しかった、
かといえば、
そんなことは全くなく、
小銭を握りしめ、握りしめ、汗ばんでくるのもお構いなし、
なにを考えていたかといえば、
ほんとうに目的地のバス停で降りられるか、
ということ。
ブザーはなかったはず。
運転手がつぎのバス停の名を発すると、乗降口の近くに行って、
「降ります」
と告げる形式だったような。
とにかく、
ほんとうに降りられるか、乗り過ごすんじゃないのか、
乗り過ごしたらどうしよう、
そのことばっかり、
頭をぐるぐるぐるぐる駆け巡り。
そんな子どもでした。
それが今、
運命のいたずらか、カイシャのシャチョー。
シャチョーさん!
って、
待てよ、
このエピソード、
ここに書いたことなかったか?
たぶんあった。
思うに、
このエピソードを思い出すのは、
おそらく夢と似ていて、
ある一定のメカニズムがありそう。

 

・けふの日の坂のうへなるおぼろ月  野衾