キリスト教は学問か

 

トマスは常に教会的栄誉を嫌って学問の人間であることに留まった。
彼はナポリ大司教並びにモンテ・カッシーノ大修道院長になり得たであろう。
しかしながら、彼はその両方を拒否した。
彼は一人の学者、一人の研究者として
――ほとんど――最期の一息まで留まったのである。
(ハンス・キュンク[著]/福田誠二[訳]『キリスト教 本質と歴史』
教文館、2020年、p.587)

 

トマスとは、トマス・アクイナス。
この本、本文だけで千ページを超える分厚いものですが、
著者の志が高いせいか、
ぐいぐい引っ張られるように読み進められます。
(たまに眠くなる)
浅くうわべを撫でるような歴史書もありますが、
一九六二年から始まる第二バチカン公会議で重要な役割を担った
ことからも推し量られるように、
彼のエキュメニカルな精神はほんもののよう、
知識だけの本ではありません。
後半も楽しみ。

 

・菜の花の息深くなる寒風山  野衾