パラダイムという色眼鏡

 

カール・バルトとの関連で、
ハンス・キュンクの『キリスト教 本質と歴史』(福田誠二[訳])を
おもしろく読んでいるところですが、
浩瀚な本のページを捲るごとに、
目から鱗が落ちるとはこういうことかと感じることしきりで。
目次を見ると、
大分類がA.本質への問い、B.中心的な事柄、C.歴史
とありまして、
このC.歴史の記述がすこぶる面白い!
Cの分類はさらに、
Ⅰ.原始キリスト教のユダヤ教的・黙示的パラダイム
Ⅱ.キリスト教古代のエキュメニズム的・ヘレニズム的パラダイム
Ⅲ.中世のローマ・カトリック的パラダイム
Ⅳ.宗教改革のプロテスタント的・福音主義的パラダイム
Ⅴ.近代の理性志向的・進歩志向的パラダイム
となっており、
要するに、
歴史の変化をパラダイムシフトとして捉えていることが分かります。
なかの具体的な記述を、
ふんふん、ふんふん、へ~、ほ~、そうなん、
と、
偉いお坊さんのお話を聴く具合に読み進めているうちに、
パラダイムという思考の枠組みを通してしか私たちは歴史を見ることができない
のではないか、
さらに、
いま現在の私たちも、
やがては過ぎていくいま現在の虹色パラダイムによってしか
自己を、他者をとらえることができない
のではないか、
パラダイムという色眼鏡を取り外して真実に向かうことは叶わない、
太陽を裸眼で凝視できないように、
そういう感情が湧いてきて、
こういう思考は、
どこかミシェル・フーコーと重なる気もし。
本が分厚いという事もありますが、
印象としては、
大河小説、たとえばトルストイの『戦争と平和』
とか、
あるいは、
小説でなければ、
マルクスの『資本論』を読んでいたときの体験・感覚
に近いような。
しばらく楽しめそうです。

 

・花曇り蒼穹の下止まらず  野衾