薄い学術書

 

大学一年生、いや、
日本経済史のゼミを選択した三年生になってからでしょうか、
岩波文庫の、
山田盛太郎著『日本資本主義分析』
という本を手に取りました。
そんなに厚い本ではなかった。
文庫だし。
軽い気持ちで。
マルクスの『資本論』を相当読み込んだつもり
がおそらくあって、
鼻息荒く手に取ったのではなかったか
と思います。
ところが、
なんというか、
ことばがぶつぶつ切れて、
やたらに記号が多く、
なんだこれは? が初見の印象。
しかし、
しぶとくしがみつき、読み返しているうちに、
なんとなく著者の言いたいことが理解できるようになった、
気がしました。
今にして思えば、
それは理解したのではなく「気がした」だけで、
ほんとうに分かる、腑に落ちる、
こととはちがっていた気がします。
これまた「気がし」たではありますが。
それはともかく。
薄い学術書、短い記述のコンパクトな学術書、注の少ない学術書は、
けして分かりやすくはない。
さらにいえば、おもしろくない。
わたしの実感です。
『日本資本主義分析』はむかしの話ではあるけれど、
いまも同じ問題が続いているのではないか。
さらに深刻化しているかもしれない。
ほんとうに学ぼうとする者が、新しい世界に触れ、理解し、
ストンと腑に落ちることを体感、体験するには時間がかかるし、
だから、
注はぜひとも充実していてほしい。
注を省くなどもってのほか。
注に頼るような本は嫌いだといった著名な学者がいましたが、
その人が翻訳した学術書の注は少なくなかったし、
行き届いてもいました。
注にこそ、学術書の本領が発揮され、
学び手を導いてくれるものと信じたい。

 

・さかしらをどつどどどどう春疾風  野衾