史(ふみ)の国

 

太史公言う。「死を知ればかならず勇あり」という。
しかし、
死ぬこと自体がむずかしいのではなく、
死に対処することがむずかしいのである。
藺相如は璧を手にして柱をにらみ、
また秦王の左右を叱咤するにあたり、
その結果がただ誅殺にすぎないことを知ったのである。
しかるに、
士の或る者は卑怯であって、
あえて勇気を出そうとしない。
相如は、
ひとたび勇を奮って威を敵国に伸べ、退いては廉頗に譲って、
その名は泰山よりも重いのである。
彼は智勇に処して、この二つを兼ね備えたものというべきであろう。
(司馬遷[著]/小竹文夫・小竹武夫[訳]
『史記6 列伝 二』筑摩書房、ちくま学芸文庫、1995年、p.36)

 

アウグスティヌスの『神の国』に比していうならば、
中国はさしずめ史(ふみ)の国。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」
という言葉がありますが、
そのもとになった
「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」は、
王彦章(おうげんしょう)のもの。
史記はもとより、
たとえば、論語や三国志演義を読んでも、
いまはどうか分からねど、
歴史に名を残すことを行動原理にしている人が少なくない、
少なくなかった、
気がします。
新型コロナに関していちはやく警鐘を鳴らし、
みずから感染して亡くなった医師・李文亮さんもその一人だったでしょうか。
しかし、
考えてみれば、
そうした人はきっとやはり少なくて、
上でひいた藺相如もそうですが、
だからこそ、
歴史に名を残した
ということが言えるのかもしれません。

 

・歩数計チエツクたびたび春近し  野衾