コロナ後の学術出版社

 

一つの重要な発展は、古代世界の直接的な情報の急速な増大という形をとった。
人文主義者たちは、とくに修道院の図書館で、
気に入った古典の著者のさらなる文献を系統的に調査し始め、
とりわけ(ペトラルカの表現によれば)彼らが古代の「偉大な天才」とみなしたキケロの
テキストをさらに探し求めた。
こうした宝探しは急速に一連の重要な発見をもたらした。
キケロの『縁者・友人宛書簡集』の完全なテキストが
サルターティにより1392年にミラノのカテドラル図書室からよみがえった。
(クエンティン・スキナー[著]/門間都喜郎[訳]『近代政治思想の基礎――
ルネッサンス、宗教改革の時代』春風社、2009年、pp.99-100)

 

ヨーロッパ政治思想の名著とされるものの翻訳ですが、
この度の新型コロナウイルスのことがなければ、
自社で出版した本を、切実な気持ちで読み返すことはなかったと思います。
日々、こころも、カラダも、アタマも変化します。
コロナ禍を回避するための手立てがさまざまに講じられており、
わたくしどもも、
目の前の原稿に誠実に向き合うことにおいては以前と変りありませんが、
あらためて、
この度のことを契機とし、
コロナ後の学術出版の意義について考えてみました。

 

現在に沈潜し、未来を想像してばかりでも埒が明かないところがあり、
どうしても歴史を振り返らざるを得ません。
かつて、ヨーロッパにおいてペストが大流行し、時を経て、
ルネサンスの時代がやってきます。
ペストがルネサンスを用意したとの言説も目にしますが、
ペストの大流行とルネサンスの間には100年の時が挟まれています。
ペスト禍のなかで聖職者も多数犠牲になったといわれます。
修道院で古典を渉猟する人文主義者たち(上の引用文)が登場するまえに、
歴史はすでに、
ペスト禍=黒死病を経験していました。
スキナーは、
ペスト禍との関連でルネサンスを論じているわけではないけれど、
神でなく人間の「偉大な天才」を求め写本を漁った人びとの情熱の底に、
ペストの禍根がまざまざと残っていたのでは、
と想像されます。
やがて、神にすがるのでなく、
人間のありようを凝視する文芸復興の時を迎えますが、
2020年の現在が、ペスト禍の時代に準えることができるとすれば、
ペトラルカ(彼はペスト禍を経験している)を経て、
100年後には、
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする、
いま現在においては想像すらできない人物群が登場するかもしれず、
巨いなるパラダイムシフトが起こらないとも限らない。
まだ見ぬ傑物たちの登場を用意するのは、
かつての時代がそうであったように、
学問の灯を絶やさぬことにあると確信します。
電池切れで全てが無に帰してしまうことのないように、
だれが、どこで、いつ、なにを、どのように論じたのかを明確にし、
それを紙媒体に残し、
積み重ねていく時間が必要ではないでしょうか。
倦まず弛まず、
いわば我慢する学問の営みが、今ほど求められる時はないと信じます。
次世代を担う子どもたちの姿を思い浮かべ、
息のながい学問とふかい情愛を湛える研究を待ち望み、
後世に手渡すべく、誠心誠意、
高質の学術書を出版する版元でありつづけたいと祈念するところです。

 

春風社代表 三浦衛