ひとごとでない

 

ハイデッガーの『存在と時間』の第二編を読んでいると、
翻訳によって少しの違いがあるとは思いますが、
「ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない可能性」
という言葉が、何度も、
いや、
何十度もでてきます。
これは、
現存在にとっての死を表現したものですが、
繰り返し繰り返し現れるので、
本を読んでいて、
木霊のように聞こえ、
耳鳴りのような具合になってきます。
「ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない可能性」の前で
腕を振るしかない人間、
その足掻きのような思索の跡。
緊張度は大したもので、
梯子をかけられ屋根に上った人間が、
気づけば、
梯子を外されていて、
屋根のてっぺんまで行ったはいいが、
いくら踏ん張っても、
今度はずるずると滑り落ちるだけのような、
落ちれば、
そこに大地はなく、
たとえば、そんな画さえ浮かんできます。
死がどんなふうに、
ひとごとでない、わたしに、現前するものであるかをいかに精緻に描いてみせても、
それで救われるわけではないことが分かります。
未完で終わるしかなかったのでしょう。

 

・いななくや馬と吾ゐる夏の家  野衾