など
原稿を校正していてアタマにくることの一つに「など」がある。
つかこうへいの傑作戯曲『熱海殺人事件』のなかに、二階堂伝兵衛部長刑事の「弁護士に頼るような犯罪者は嫌いだあ!!」という有名なセリフがあるが、その伝でいえば、「など」に頼るような物書きは嫌いだあああ!!!となる。
「など」というのは、重要と思われるほうから順に(逆の場合もあろう)いくつか単語を並べた後で、もっと他にもあるけれど、全部書くのは紙幅の関係もあり以下省略、の意味合いで使われる場合と、考えられる限りは列挙したけれども、それ以外にもありそうで何だか不安、見る人が見て、そっちを挙げて、どうしてこっちを挙げてないのさ、おかしいじゃねえかと突っ込まれるのが嫌さに「など」と書き、批判を免れようとする。わたしは他にもあることをちゃんと知っているのだよ、でも、敢えてそれをしないのだから、どうか皆様そこんところをぜひご承知おきくださいの心性と甘えが見え隠れし、わたしは嫌いだ。
だから、1ページに「など」が三度も頻出しようものなら、しかも「などなど」と重ねてあったりすると、わたしはキレる。すなわち、
なにがなどなどだあっ! ドナドナの歌じゃねんだぞ、くらああああっ!!!
と、ダジャレの一発もかましたくなる。社員、また始まったかと下を向きクスクス笑っている。
いますぐに思い出せないが、「など」についてのそういう属性を知悉し、逆手にとって、笑いにもっていった例を見たことがある。なるほどなあと思った。
とても共感します。
私は「脚注」を多用して、逃げの文句を挿入するものも嫌いです。「脚注」で突如、論拠の薄い仮説を打ち上げる人がいますが、こういうのもやめてほしいですね。
思わせぶりな文学的表現で逃げている文章も嫌いです。そういう文章を、カッコいい現代思想の表現形態と勘違いしている人が多いことに愕然とすることがあります。
お、中島さんではないですか。コメントありがとうございます。
そうですね。まったくもって同感。自分の頭でよく考え、練られた文章はシンプル。
思わせぶりもよくありません。わたしはそういう箇所に出くわすと、編集者特権(笑)で
バッサリ切ります。
『中村屋のボース』楽しみにしています。
恐れ入りました。
実は、仕事で文を書くことが多いのですが、「など」を連発しています。
理由は三浦さんのあげられている後者の方に近いかと思います。
大勢の目に触れたとき、苦情を受けるのを避けるために、なんにでも「など」をつけておけという姿勢でした。反省。
以後、「など」を使わずとも自信のもてる文を作ることを心がけたいと思います。
ドナドナはとても好きな歌ではありますが・・・。
>アンさん
ドナドナ、わたしも好きです。あのなんともいえず物悲しいメロディー、♪ドナドナドーナードーナー。
ところで、あのドナドナ、なんだかとっても深い意味がありそうで。クローズアップ「ドナドナ」というサイトで初めて知りました。深い!
▼クローズアップ「ドナドナ」
http://www.worldfolksong.co…
ドナドナの奥深い意味、読ませていただきました。
学生の頃、なんとなーく意味深だとは知っていたような気もするのですが、こんなにきちんとは知りませんでした。
でもなんだかいつも心に引っかかっている詩で、今でも上司に呼ばれていやな会議に行かされるようなときには「♪ドナドナドーナードーナ〜♪」と自分が牛になったような気分でつい口に出して歌っていました。まさかアウシュビッツに行かされるとは・・・。
再び「など」についてですが、実は先日、こんな文を書いてしまって苦笑してしまいました。
「A,B,C(?,?など)などは・・・」
この項目には、ABC以外も含まれる。またCの中には??以外も含まれる。
と言いたかったわけです。
まさに悪文。三浦さんの日記で目が覚めました。
>アンさん
>上司に呼ばれていやな会議に行かされるようなときには「♪ドナドナドーナードーナ〜♪」と自分が牛になったような気分で…
アハハハハ… 爆笑爆笑! 傑作!!
いろんな場面で応用が利きますね。♪ドナドナドーナードーナ〜♪ と。なんていうか、凄くしょぼくれた感じがする。