子どもの頃、大工さんが家を建てるのをワクワクしながら見ていました。
少しずつしかできていかない。でも、少しずつできていく。
じぶんの家じゃないのに、
毎日見ているうちに、なんだか楽しくなってくる。
あたりまえに暮らしていたけれど、
じぶんの家もそうやってできたのかと思うと、
いとしく思えてきて、
家に帰ってから、古くなった柱を撫でてみたり、床を足裏でこすってみたり。
紙の本を読むときも、
両手の指で本のノドのところを何度も押し開き、
両手で持って読むときもあれば、
左手だけで本を持って読んだり、右手に持ち替えてみたり。
むつかしい本の場合は、
左手の親指を本のノドにあてがい、
ふかく本を持ち、
右手の親指で、文章の一行一行をゆっくりなぞっていく。
紙の感触が指から脳に伝わり、
一行の意味と相まって得も言われぬ快感が走る。
「生命活動、というのはすなわち物質世界に投げ出された意識のことであるが、
その注意を自らの運動そのものに注ぐとともに、自らが通過してゆく物質世界にも注いでいる。」
しばらく意味の海に身を任せ、
左手でこれから読んでいく本のページの束をつかみながら、
右手の指で、
いま読んだばかりの二行を二度、三度、
撫でてみる。
時間をかけて大工さんが建てた木の家に住むように、
しばしの時間、本に住む。
その家の空気を吸うようにして。
本を読むことは、
撫でさすり、指の腹で紙の感触を味わうことだ。
意味はそのためのきっかけに過ぎない。
物に触れて感じる味わいを「感味」
と呼ぶことを、
峯村文人(みねむら ふみと)さん校注の本で知った。
「感味」は『新古今和歌集』の歌の意味だけにあるのではない。
みじかい歌の一行に指を這わせることで、
よりいっそうの「感味」が脳を刺激し、
生きていることが実感され、
深い味わいとなってわたしを支えてくれる。
きょうもまた、何冊かの本を訪ね、本に触り、本を味わう。
・このごろの父の電話や冬構 野衾

