だれにとっての「いい」?

 

本づくりを生業とするようになってから、よく耳にすることばに、
「売れる本と、いい本はちがう」があります。
この仕事に就いたころは、
そういうものか、
と他人事のように聞いていた気がします。
それがいつの頃からか、そうだ、その通り、売れる本といい本はちがうのだ、うん!
鼻息荒く、そう思っていた時期もありました。
しかし、
いま静かに振り返ってみると、
その気持ち、考え方に、すこし屈折したものが混じっているように感じます。
これまで、いわゆる「売れる本」をつくった経験がないし、
つくり方も知りません。
なので、
もう一方の「いい本」を心がけるしかなかった。
読者が読んで、ためになる本、喜んでくださる本を「いい本」とみなし、
それに向けて意を用いてきました。
が、
ここにきて、ちょっと待てよ、の気持ちがもたげてきた。
そのきっかけは、
ある本の装丁に関し、
著者と時間をかけて打ち合わせをしたことでした。
いま仮に、その著者をAさんとします。
Aさん曰く、
「とくに装丁に関して好みはありません」とおっしゃる。
社に来てもらっての打ち合わせでしたから、
本棚にある既刊の書籍を引き出し、
いろいろ示したところ、
「ああ、こういう感じ、いいですね。これは、んー、あまり好みではありません。
それも、色がちょっと。
そっちのは、タイトル文字のフォントが…」
事程左様に、好みがないどころか、
はっきりと、
ある。
あるではないか。
Aさん、ちょっと、はにかむようにして
「好みがないと思っていたけど…、ありますね」
とポツリ。
その後、
打ち合わせは順調にすすみ、
やがて本が出来上がり、Aさん、とても喜んでくださった。
装丁のことではありましたが、
装丁だけのことではない気が、いまはしています。
著者本人も気づかない好み、興味、関心、疑問、願い、
生き甲斐、その他もろもろがこころの底に潜んでいるのではないか。
ことばもふくめ、
徹底してそこを見据え、
発せられたことばどおり言質を取る
ようなことではなくて、
また寄り過ぎず、
たとえていえば、自然薯の根を探り、たしかめ、掘るようにして、
著者にとっての「いい」本をつくる。
ひいてはそれが読者をも裨益するのではないか、
の欲張った気持ちもある。
格好つけすぎかもしれませんが、
そんなイメージで、
これから本をつくりたいと考えています。

29日、30日と帰省のため「よもやま日記」を休みます。
よろしくお願いいたします。

 

・弟と土器の欠片を拾ふ春  野衾