斧の柄の故事

 

わたしは碁をやりませんし、将棋は駒の進め方くらいしか知りませんけれど、
中国に、
碁のたのしさと時の経過をつたえて味わいぶかい故事があります。
晋の時代、木こりの王質が山に入り、
四人の童子らの打つ碁を、
童子にもらったナツメを食べ食べ見ていると、
いつの間にか、
斧の柄が朽ち果て、
山から里に帰ってみれば、知っている人はだれ一人いなくなっていた、
それぐらい膨大な時間が経っていた……。
その故事をふまえて、

 

『古今和歌集』991番、

 

故里ふるさとは見しごともあらず斧の柄の朽ちしところぞ恋しかりける

 

また『新古今和歌集』1672番、

 

斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をも経るかな

 

こちらは、
ふるさとを詠んだものでなく、
父帝である後白河院が亡くなったのちに、式子内親王が、
父帝在世中のむかしを懐かしんでの述懐
ですけれど、
時間経過に関する感じ方としては、共通のものがあります。
さて、
ふるさとを離れて暮らすことは、
つらいこともありますけれど、楽しいこともあり、
そうやって暮らしているうちに、
幼なじみがひとり、またひとりと亡くなったことを知るにつけ、
時のたつ速さにおどろき、また、それを感じて歌に詠った古人のこころを
思わずにはいられません。

 

・霜月や吾はまだ世には居らざりき  野衾