ドゥンス・スコトゥスさんのこと

 

ハイデガーさんの伝記を読んでいますと、
ドゥンス・スコトゥスさんという人の名前がでてきます。
若き日の教授資格論文名が『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』
であることからも、
ハイデガーさんの学問にとって、
ドゥンス・スコトゥスさんがたいせつな人であることが分かります。
そうですか。
と、
ひとり呟いていましたら、
2019年に知泉書館から八木雄二さんの訳註により、
ドゥンス・スコトゥス[著]『存在の一義性 ヨーロッパ中世の形而上学』
が出版されていることを知り、
さっそく買って読みました。
ははあ、
なるほどハイデガーさんが注目し、
意識し、研究するはずだな、と思いました。

 

スコトゥスにおいては, 実存する対象の完全な知性認識とは,
直観認識(知覚)であり,
これに対して抽象認識は, 実存(現存)が抜け落ちた不完全な知性認識である。
このような理解は,
二世代前の神学者トマス・アクィナスにはない。
なぜなら,
トマスにおいては抽象認識のほうが神を認識するうえで
よりふさわしい認識だからである。
それゆえにまた, トマスには、知性の直観認識の論はない。
知性の直観認識の論はスコトゥスにおいて中世哲学史上はじめて生じたものである。
さて,
直観認識(知覚)が完全な認識であるとすれば,
それに対して人間知性が一般的に知性認識としてもつ認識は,
一般認識, すなわち, 抽象認識である。
それゆえ,
スコトゥスにおいては,
一般的な知性認識は,
対象を不完全にしかとらえていない認識として理解される。
この段落で, まず知性が色の実在性をとらえる認識について述べているのも抽象認識
の話である。
すなわち,
目前に対象が現存するかぎりの認識ではなく,
時空的限定を問わない普遍的な(一般的な)対象認識である。
したがって,
抽象認識における色の認識であれば,
それは何らかの色の「種」の認識である。
わたしたちは抽象認識でふつう, この「種」の認識を得る。
たとえば「白」とか「赤」とかの認識である。
(ドゥンス・スコトゥス[著]八木雄二[訳註]
『存在の一義性 ヨーロッパ中世の形而上学』知泉書館、2019年、pp.552-3)

 

んー。
小林秀雄さんを思いうかべます。
ゆうめいな「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」。
小林さんらしい。
それと。
ドゥンス・スコトゥスさんはイギリス生まれ。
フランシス・ベーコンさん、アイザック・ニュートンさん、
それにジョン・ロックさん
なんかのことも、
つぎつぎ気になってくるし。
三百年生きられたらなぁ。

 

・青空や涼をたづねて佇めり  野衾