意外なサッカー好き

 

どの時代のどんなことをした人かにかかわらず、伝記、となると気になって、
けっこうな数を読んでいると思いますが、
ていねいに調べ記された伝記だと、
へ~、そんなことがあったの、知らなかったぁ、
と感じることがしばしば。
ですが、
なかでも、
ほんのちょっとしたエピソードなのに、
その人に対してこれまで持ってきたイメージをさらに味わい深いものにしたり、
場合によっては、
変ってしまうことがあったりし、
そうなると、
ますます伝記が面白くなり、好きになります。
それは、
ふだん付き合っている知人・友人の、
ちょっとしたことばや、ふるまいによって、
イメージが深まったり変り得ることと同じようです。

 

ハイデガーは今は威厳のある老紳士になっていたが、
かつての不愛想で手厳しいところはなくなって、
すっかり角が取れていた。
近所へ出かけて行ってサッカーのヨーロッパ杯をテレビで見ることもしばしばで、
七〇年代初めのハンブルクSVとFCバルセロナとの伝統的な試合
のときには昂奮して
コーヒーカップをひっくり返した
こともあった。
フライブルク劇場の当時の支配人が列車の中で彼と出会って、
文学や演劇の話をしようとしたが、
ハイデガーはそれには乗ってこなかった。
彼はサッカーの州対抗試合に心を奪われていて、
フランツ・ベッケンバウアーのことを話したかった
からである。
彼はベッケンバウアーの感情豊かなボール捌きを最大級に賛嘆していて、
ベッケンバウアーの華麗な技巧を説明しようとして、
支配人を驚かせている。
ハイデガーはベッケンバウアーを「天才的なプレーヤー」と呼び、
一対一でボールを奪い合うときの
「危険を恐れぬ大胆さ」
を賞賛した。
ハイデガーは自分に専門家の判断ができると信じ切っていた。
かつてメスキルヒでは教会の鐘を撞いただけではなく、
サッカーでレフトウイングとして活躍したこともあったからである。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本 尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.624)

 

・クリニツク出でて降りくる蟬の声  野衾