悲しいときには

 

エミリー・ディキンソンさんの詩のなかに、わたしが好きな詩があります。
その詩を読むたびに、
国語教育で著名な大村はま(1906-2005)さんのことを思い出します。
大村さんに直接お目にかかり、
赤羽の居酒屋でしたしくお話を伺うことができたのも、
この仕事をしていることの賜物であるかとありがたく思います。
たしかその時だったと記憶していますが、
こころが悲しみに満ちているときには、
明るい場所では癒されない。
むしろ、
暗いしずかな場所に居て癒されることが多い。
そんなふうに語ってくれました。
それは、
塩鮭の塩を抜くのに、
真水によってではなく、塩水によって行うのに似ている……。

 

 

傷ついた鹿              エミリー・ディキンソン

 

傷ついた鹿は一番高く躍り上がると

狩人のいうのを聞いたことがある

それはただ死の法悦にすぎなく

やがて叢くさむらは静かになる

 

砕かれた岩はいずみをほとばしる

踏まれた鋼はがねは跳ねかえす

頰は病に冒されると

かえって紅くなる

 

陽気は苦悩のよろい

なかでそれは注意ぶかく守っている

だれかが血を見付けて

“傷ついている”と叫ばないように

 

 

日本語訳は新倉俊一さんによるものです。
こういう詩を読むことで、わたしの中の、あるこころが癒されます。
こういうことばをつむいだということは、
エミリーさんもまた、
人生の中で、
人知れず傷ついていたのかと想像します。

 

・引き出しの匂ひ袋や用忘る  野衾