動くいまのこころ

 

たとえばきのうのこのブログのタイトルは「なぜか気になる荷風さん」。
ほかに「荷風さんのこと」「荷風さんについて」
も、
ちょっと思いましたが、
「なぜか気になる~」がいいかと考え、
それにしました。
こんなこと書こうかな、をきっかけとして書き始めますが、
書き始める時点で着地点を考えたり、
想ったりすることがこのごろ少なくなりました。
どちらかというと、
こんなこと書こうかな、
から始め、
そこからチョビチョビめぐっていく思考をことばにしていく、
ひとつのことばを思いつき、
それにつぎのことばをつなげたら、
またつぎ、
という具合に進めていき、
やがて着地点。
その過程を楽しみながら書いている、
のかなと思います。
そうすると、
きのうの場合、
「荷風さんのこと」「荷風さんについて」よりも、
「なぜか気になる~」のほうが、
きのうの朝の「いま現在」の時点に相応しく、
ゆっくり、ことばを探し、じぶんなりにコレかな、
それからコレ、
の過程からじぶんが疎外されず、
大げさかもしれませんが、
その時間を生きてその時間のことばが目の前に現れてくるのに立ち会える、
文を書くことをできるだけ楽しみたい、
そんなことだったと思います。
出来上がったものを見、
書いてきたわたし自身に向い、
は~、
これがいまのあなたのこころですか、
みたいな。
堂々巡りに似た状態が現れ、それと分かることばの連なりも生じてきます。
そうであっても、
いまこの時点での体とこころとあたまのリズムやテンポ、
またスピードに合わせて書きたい気持ちが強く、
そのためのタイトル。
これは、
ここの短文のことでありまして、
本のタイトルを考えるときとは違っています。
ちなみに、
きょうのタイトルは「動くいまのこころ」。
はじめに思ったのは
「文のタイトルのこと」
でした。

 

・夏は海生まれた日また死ぬる日も  野衾