「今感」に触れる

 

世話になっている鍼灸の先生は、まず脈診を行います。
そうして、
「今週はいそがしかったですか?」
「イライラしませんでしたか?」
「仕事、落ち着きましたか?」
と、
質問の形を取っていますが、
これらは、
「いそがしかった」「イライラした」「仕事が落ち着いた」ことが
脈に現れている、
ということのようで。
ただ脈に触れているだけですが、
そうとうのことが分かられてしまいます。
二宮金次郎さんの有名なエピソードに、
「夏に茄子を食べたら秋茄子の味なのに気づき、
村々に冷害に強い稗を植えるよう指導し、飢饉で餓死者を出さずに済んだ」
というのがあります。
どうやら伝説の域を出ないようですけれど、
ひとつの仕事に集中していると、
物やいのちに触れるだけで、
いろいろなことに気づくことはあるのかもしれません。
わたしの場合ですと、
日々の仕事で読む原稿がそれにあたるかな?
テーマによっては、
たとえば数百年も前の、
それも日本でなく外国の人物に関する研究というのもありますけれど、
執筆しているのは、
いま日本に住まいする研究者ですから、
しずかに精読していると、
どこがどうとうまく言えなくても、
いま現在の感じ、
いわば「今感」に触れる瞬間はあります。
それがあると、
書名だとか、
装丁のイメージ、モチーフがだんだん絞られてきます。

 

・風来る端の夏服揺れてをり  野衾