ヤマトタケル

 

・坂道を上る虫鳴く雨の降る

ヤマトタケルといえば古事記の英雄、
若く知恵あるものとして登場しますが、
知恵も度を超すと狡猾となる。
出雲の国のイヅモタケルという頭を倒す段は、
どうみたって知恵あるものとは呼べないだろう。
友の契りを結んでおいて
相手の気をゆるませ、
肥の河に水浴びに誘う。
ヤマトタケルは事前に木刀を作って身に帯びていたが、
水浴びの後、
イヅモタケルに刀を交換しようと持ちかけ、
イヅモタケルはまんまと罠にはまり、
気安く刀を差し出し取り替えた。
友の契りを結んだのだから
というわけで、
誘いに乗ってしまったことが命取りになる。
太刀合わせの結果、
イヅモタケルは殺されてしまう。
それもそのはず。
ヤマトタケルから渡された太刀は、
木でつくった偽物の太刀だったのだから。
ひどい! ひどすぎる!
ヤマトタケルって、こんなやつだったの。
これが日本書紀の記述だと全然まったく違うそうだ。
いたってお利口さんになっているらしい。
このあたり、
古事記と日本書紀の成立事情も垣間見えて面白い。
それと、
こういう荒削りで悪知恵のはたらく
ヤマトタケルのほうが
わたしは好きだ。
人物造形として圧倒的に魅力的。
古代インドの叙事詩
マハーバーラタを読んだときも、
この人物ってどうなの
と思える箇所がけっこうかありましたが、
近代小説以降、
登場人物の性格描写が複雑になっているようで、
実はそうでないのかもしれず、
それどころか、
痩せた造形に堕している可能性もある。
たとえば紙芝居が、
印刷に付され
教室でつかわれるようになると、
おとなしいいわゆる
「教育的」なものになってしまうように。
街頭で紙芝居のおじさんが演じる紙芝居は、
俗悪なところがあっても、
それをふくんで血湧き肉躍るものだったのだ…。
そんな連想も浮かんでくる。
古事記は骨が抜かれていない。

・はらわたの苦きも嬉し秋刀魚かな  野衾