詩の発見

 

・虫の夜上り下りのひとりかな

昨年亡くなられた
恩師・飯島耕一先生に導かれながら、
西脇順三郎の詩と詩論を
読んでいると、
西脇先生の詩のユニークさがだんだん分かってきます。
たとえば、
発見ということ。
海の、川の、曲がったものの、生垣の。
海も、川も、あらゆる曲がったものも、生垣も、
だれも知っている。
母の胎のなかで受精卵が着床し、
細胞分裂を開始するや
やがて器官が発生してき、
目が出来、耳が出来、脳が出来る。
人間の子として生まれ、
目で見、耳で聞き、脳で考えても、
見るとは、聞くとは、考えるとは限らない。
学校や本で習うこととは別に、
すべて、
じぶんで見、
じぶんで聞き、
じぶんで考えなければならない。
じぶんで発見しなければならない。
飯島耕一先生に導かれながら、
西脇順三郎がいかに
海や、川や、曲がったものや、生垣を発見したのか、
その驚きを詩に定着させていったのか、
それが分かっておもしろいのだ。
わたしにとって
それはまた
詩の発見と呼んでもいいのだろう。
海はいまこそ波立ち、
川は音立てて流れてゆく。
曲がったものは愛おしく、
生垣はさらに懐かしい。

・虫すだく生垣越しにお前もか  野衾