老夫

 

・水仙の花に珈琲注ぎたし

杜甫の詩を読んでいると「老夫」ということばがでてきます。
老いたおじさん、
だれのことかと思いきや、
杜甫自身。
いくつで
自分のことを
老いたおじさん呼ばわりしているのかといえば、
ななんと四十代。
へ~!!
四十代で老夫なら
五十代は老老夫か、
六十代は老老老夫で三老夫、
なんて。
八世紀中国の時代状況もあるでしょうが、
詩のなかにその文字が出てくると、
やはり目がとまります。
ときどき見ているブログがありまして、
それを書いているのはおそらく六十代の方と思われますが、
あるとき、
「ゆえあって射精をした。かつては毎日だった」
と書かれてあり、
爆笑。
また、
杜甫の詩を読みながら、
竹内敏晴の『老いのイニシエーション』
を思い出しました。
舞踏の土方巽が57歳、
活元の野口晴哉が64歳
で亡くなったことを踏まえ、
生のエネルギーの放出が六十を境にして変ることを、
みずからの体験ともあわせ
たしか記述していたはず。
さて、
ちゃんと越えられるだろうか。
なんか心もとないなあ。
越えるための棒があるといいのですが。
って、
棒高跳び!?

・軽重を計り地球の蛙かな  野衾