稲作崩壊

 

・稲の香を嗅ぎて百姓寿命延ぶ

小学生の頃、
日本の農業の現状は三ちゃん農業であると習いました。
三ちゃん農業の三ちゃんとはだれのことか答えよ、
なんて問題が社会科のテストにでてたっけ。
ところが平成二十七年の日本では、
世の変動すさまじく、
すでに三ちゃん農業すら維持できず、
二十年先、十年先どころか、
五年後の展望さえ持てない農家が多くなっています。
米で食べていけないとなれば、
若い者はどうしたって
外へでて働かなければなりません。
ところが、
高齢の者だけでは稲作は無理。
必然、
業者にたのむことになります。
今はそういう業者が
ないわけではないけれど、
収穫後、
田んぼを所有している農家への払いが
一反歩たったの一万円であると聞いて驚きました。
だからといって、
業者がぼったくっている
わけでもなさそうなのです。
稲作は一年365日、
手間がかかります。
農繁期、農閑期という言葉がありますが、
まじめな農家ほど農閑期が少ない。
それを業者が引き受けてやるというのは、
資本主義経済の成り立ちから考えると、
いかにも実入りの少ない
あまりパッとしない商売でしょう。
アメリカ型の大規模農業は、
そもそも日本の棚田にはそぐわないのです。
それでも、
一反歩たったの一万円でも、
休耕田にするよりはまだマシ
ということで
業者にたのんでいるところもあるようです。
今回秋田に帰ってみて、
新幹線の車窓から
刈り入れを待つ稲田の光景に目をやりつつ、
複雑な気持ちに襲われました。
日本は古来
瑞穂の国と讃えられてきたとおり、
時代は大きく変化しても、
稲作をやめて日本が立ち行くとは思えないからです。
かといって
業者に任せっきりでは
農家は食べてゆくこともできません。
もはや、
農協を拠り所とする体制は、
稲作に関する限り崩壊しているのではないでしょうか。
出版業界の変化と似ている気もします。
唐突ですが、
農家、行政、企業が一体となって事にあたる、
イギリス発祥の
グラウンドワークの方式しかないのでは。
グラウンドワークは、
小さい政府を目論むサッチャー政権の下で生まれた考え方ですが、
今の安倍政権では
とうてい無理。
あの人が、
こちらを向くとはどうしても思えない。
祖父の恩愛と感じる甘さに浸かって
汲々としているだけでしょうから。
いまの法律の体系内で
グラウンドワーク方式を採用することが可能か否か。
昨夜、
八十四歳になった父から電話がありました。
今年の収穫は終ったと。

・稲の穂の稔り波打つ黄金かな  野衾