体質の変化

 

三か月に一度ほどの検査のため行きつけの病院へ。
血液検査と尿検査を済ませ、
あとは診察を待つだけ。
なんど訪れても好きになれず、
それどころか緊張して心臓がバクバクしてしまいます。
これ母親とまったく同じ。
なさけない話ではありますけれど、
論語を読もうが法華経を読もうが聖書を読もうが
病院へ行った時の緊張を解くことはできません。
これがわたくしのあるがままの姿と諦めるしかないようです。
なんてことをつらつら考えているうちに
名前を呼ばれ診察室へ。
問題のクレアチニンの値が若干下がり、
まずは一安心。
とはいえ、
まだ基準値にはおさまらず
予断を許しません。
ひとついいなと感じるのは、
総合病院なのに、
この先生、
ひとの話をちゃんと聞いてくれいっしょに考えてくれること。
なので、
予約しているにもかかわらず、
どんどん時間がたち、
待合室では不満の声が漏れることしきり。
それはさておき、
コレステロールの値が高めであることを指摘されました。
これまた母親と同じですから、
遺伝によるものでしょうかと尋ねると、
言下に
「遺伝よりも体質の変化によるものでしょう」
体質の変化、
か。
還暦をまえに体調をくずし、
アルコールを飲まなくなって一年半、
こまかいことを数え上げれば、
からだの変化をあれこれ自覚することが多くなりました。
と同時に、
仕事でもプライベートでも
極端を避けるような気持になっている
気がします。
若いときは、極端なことをいえば、
極端が好きでした。
あやまちもありました。
アルコールを飲んだときなど、
深さの果てに真理が垣間見えるのではないかと想像したり。
しかし、
つぎの日気持ち悪くなるだけで、
想像はたんなる妄想にすぎなかった。
極端というならば、
いまは、
中庸であることにいかに徹底できるか、
そこに極端でありたいとねがうこころもち。
ただ、
中庸の中庸たる所以は
ひょっとして、
徹底しないところにあるかとも思ったり。
いずれにしても、
この歳になってようやく、
母親をかがみにして
じぶんの姿が少し見えてきたかなという気がします。

 

・書けずともながめてうれし躑躅かな  野衾