澁澤さんの論語

 

吉川幸次郎の対談集『中国文学雑談』(朝日新聞社、1977)
を読んでいましたら、
井上靖との対談のはじめのほうで吉川さん、
こんなことを語っており
目をみはりました。
「『論語』というものを、私はそれまではたいへん反動的な書物だと思っていたのです。
(「それまで」というのは、大学に入って二十歳になってから
ということが前段に書いてあります――三浦)
ところが読んでみると、そうでありませんね。
そのころはいろんな反動家が『論語』をかついでいて、それに対する反感があったのです。
一番いやだったのは、私があまり好きでなかったある実業家が、
『論語』を非常にあれしていた。(「あれ」に傍点が付されています――三浦)
そのほか私の嫌いだった人が大へんもちあげているところから、
『論語』が大へんいやだったのです。……」
この箇所を読んで、
ははー、
ある実業家というのはきっと
澁澤さんのことだな、
そうにちげえねー
と勝手に思い込んでしまいました。
引用した後のほうで、
「ある実業家」について吉川さん、
自著『中国の知恵』のなかでそのひとの名前を実名で書いたら、
身内の方から手紙をもらい、
そのこともあって、
第二版以降は「ある実業家」とした(笑)
となっていますから、
『中国の知恵』の初版を見ればすぐに分かることですが、
それはまだ見ることが叶いません。
がしかし、
おそらく、百パーセント、まちがいなく、きっと、
澁澤榮一のことだろうと思いまして。
(まちがっていたら、澁澤さん、スミマセン)
という思い込みをふまえ、
ただいま
二松學舎大學出版部から昭和五十年に出版された浩瀚な『論語講義』
を読みはじめました。
(わたしが読んでいるのは昭和五十二年二月に上梓された第二刷)
吉川さんは嫌っていたようですが、
たしかに「反動的」と思える箇所がないわけではない
ですが、
それよりも、
澁澤さんが、
人生の指針としていつも『論語』のことを念頭に置いていた
ことがよく分かり、
だけでなく、
幕末から明治大正にかけての著名な人物たちとの交際が親しく語られており、
おもしろく読み進めています。
(この講義を澁澤さんは八十四歳のときから始めています)
千ページちかい本ですが、
あきらかに活版印刷で刷られており、
文語文と相まって
なんともいい感じ。
吉川さんの『論語』は好きだけど、
澁澤さんの『論語』もけして嫌いではありません。
ていうかむしろ好き。
吉川さんがあんなふうに感じたのは、
時代もあったのかと思います。
(下の写真の「BARBER吉川」は吉川幸次郎さんとは関係ありません、たぶん)

 

・おつかない医者にさよなら春ららら  野衾