スクリーチ先生

 

人間が知りうるいっさいは恩寵の賜物であるという見解は、
ラブレーの「年代記」に初期から見られるテーマである。
神学、法学、医学、哲学、予言そして詩歌の分野でラブレーが重視する真理
――要するにすべての真理――は、
人間の努力により獲得したものではなく、霊的な糧(マナ)のごとく、
人間の頭上に滴り落ちてきたのである。
こうした見解は、現代人が想像する以上に、
学問や学識の分野ではずっと強く信じられていた。
ルネサンス期のユマニストたるキリスト教徒は、視野狭窄症に陥ってはいない。
彼らは、エジプトの象形文字から、
あるいはギリシアの哲学から、
さらにはヒポクラテスの霊感を宿した医学的知識から、
何らかの叡智を引き出そうと努めた。
「汝自身を知れ」という偉大な古典期から伝わる教訓も、
彼らは自分たちの天啓的真理の領域に組み入れてきたのだ。(pp.794-795)

 

上の文章は、
マイケル・A・スクリーチ『ラブレー 笑いと叡智のルネサンス』
(平野隆文訳、白水社)からの引用(改行は変えてあります)
です。
カルヴァンによって放蕩者と位置づけられたラブレーですが、
著者であるスクリーチ先生と訳者・平野先生のおかげで、
広やかな地に案内され、
ようやく深呼吸できたような気になり、
忘れられない一冊になりました。

 

・払暁のつとめの庭に初音かな  野衾