安心のにおい

 

精神科医の中井久夫さんの文章に
「不安のにおい」
に関するものがありますが、
不安のにおいというものがあるとすれば、
反対に、
安心のにおい
というものもあるのではないか。
そう思ったのは、
先日読んだ『ドリトル先生アフリカゆき』が
とてもいいにおいがし、
古くなった紙のにおいというだけではおさまらない気がしたからです。
五十一年前に発行されたものですから、
少なくともひとり以上のひとの手にわたり、
おもしろく読まれて、
そのおもしろいと思った
「おもしろい」の気持ちが本に込められたのではないか。
中井さんによれば、
かつての精神病院にはどくとくのにおいがあり、
それがなんのにおいかと思っていたところ、
あるとき
ある患者さんに中井さんが不安になるようなことを告げた、
すると、
あのどくとくのにおいがした…。
それは患者さんの吐く息のにおいであった。
それはひとを遠ざけるにおいであり、
他のひとがその場を去りたくなるにおいであったと。
だとすれば、
反対に、
ひとを引き寄せるような
安心しているときに吐く息のにおいというものもあるのではないか。
古書の『ドリトル先生アフリカゆき』のにおいは、
それをかつて読んだひとが安心
安気のこころで読んだ証ではなかったでしょうか。

 

・東風吹かば鳥来る道にひと渉る  野衾

 

わたしが子どもだったころ 2

 

小学校五年六年のときの担任は小武海市蔵先生。
こぶかいいちぞうせんせー。
おおがらで、あたまが剥げていて、腹がでていて、いつもにこにこ。
きょうしつでべんきょうもしたはずなのに、
おぼえているのは、
体育館でせんせーとすもうをとり、
思いっきりぶつかっていくのに、
ぷよんぷよんのおなかが気持ちよかったこととか、
体育の時間、
グラウンドでソフトボールをしたとき、
(しょっちゅうソフトボールをしていました)
せんせーが特大のホームランを放ち、
打ったボールが体育館のいちばん上の窓ガラスを破ったことなど、
いっしょにあそんだことばかり。
べんきょうでおぼえていることといえば、
社会科の時間
だったと思いますが、
アメリカの三大自動車メーカーはなにか
という問題がだされ、
わたしはそっこう手をあげて、
まわりを見わたせば、わたしだけが手をあげていて、
せんせーにあてられ、
はい!
威勢よく呪文を唱えるように、
ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー。
クラスじゅうの称賛を浴びたことは言うまでもなく。
でも。
あとから思えば、
中古車とはいえ、あのころ父が初めて自家用車を購入し、
じぶんのうちにクルマが来るという信じられないことが起こり、
まえからあったクルマへの興味に火が着いたことを
せんせーはそれと知っていて、
あの問題をだしたのではなかったかと思います。
ぼんやりとですが、
そのことをせんせーにたしかめたような記憶もあり…。
そのときもたしかせんせーは
ただにこにこにこにこ。

 

・枝垂れ梅大陸からの風に酔ふ  野衾

 

蟄虫啓戸

 

第七候。
すごもりむしとをひらく。いわゆる、啓蟄(けいちつ)です。
関東のあちこちで河津桜が見ごろを迎えています。
きのうの午後でした。
用があって秋田に電話をすると、
めずらしく母がでて、
父は叔父といっしょに出かけたとのこと。
種もみを植えるための土を買いに。
いよいよことしの稲作が始まります。

 

・古き屋の目覚めるごとく梅の花  野衾

 

わたしが子どもだったころ

 

ケストナーの『わたしが子どもだったころ』(高橋健二訳、岩波書店)
は、
1957年に出版された本。
1957年は昭和32年。
わたしはこの年の11月25日早朝に生まれました。
タイトルどおり
ケストナーが子どもだったころの思い出を
ケストナー自身がいつくしむように記しており、
ドイツの話なのに、
わがことのように切々と迫ってくるものがあります。
それにつけても思い出されるのは、
じぶんの子どもだったころの思い出。
さびしい「とじぇね」わらしでありましたが、
そうであればあるほど、
弟がいつもそばにいてくれたことは
わたしにとって
大いなる救いでありました。
同年齢の友だちもいたことはいたし、
かれらとも遊んだけれど、
弟抜きでということはほとんどなかった気がします。
弟とつれだって友だちとも遊んだ
というのが
実際のところだったと思います。
季節季節に弟と遊んだことが
つぎつぎとのうりをかけめぐり、
わたしの子どもじだいを彩ってくれます。

 

・ライオンのたてがみ洗ふひばり東風  野衾

 

本のにおい

 

休日、ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』を
たのしく読みました。
シリーズ十二冊を古書で求めていたのですが、
会社の机の横に置いたまま
つん読状態になっていました。
プロイスラーの
『大どろぼうホッツェンプロッツ』が面白かったので、
つぎ
なににしようかと考えあぐねていたところ、
ふと思い出しました。
挿絵とあいまって、
ものがたりに流れている空気感がたまりません。
わたしが読んだのは、
昭和四十三年十月五日、第十七刷のもので、
いまから五十一年前。
当時のわたしはといえば、
こういう本にとんと縁がありませんでした。
弟と外で遊ぶことに忙しかった。
本をひらくと、
ほんのりかわいた秋のにおいがします。
祖父母の部屋の畳のような、
祖父の枕のような、
作業場に積まれた藁のような、
夏の草のような、
とてもとてもなつかしいにおいです。
あと十一冊ありますから、
ゆっくり読みたいと思います。

 

・ふるさとの古家の軒も梅の花  野衾

 

草木萠動

 

第六候「そうもくめばえいずる」
三月に入りました。
前方後円墳があったというここ保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町の丘の上から、
そこここで梅の花がほころび
色をつけているのが見られ、
早春の気を浴びることができます。
そとにでて
ゆっくりしずかに呼吸すれば、
地球の呼吸に同調していくかと想像され。
さてきょうは。
はじめて来社されるお客さんがあります。
元気に新しい気持ちでお迎えしたい。

 

・唐宋の名筆にほふ梅に風  野衾

 

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